2日間のコンサート

夕方を過ぎ、この大きな駅の前にストリートミュージシャンが集まって騒がしくなってきた。

雑踏の中、ロック、今流行りのJPOP、洋楽と様々な音が聞こえてくるが、僕は足を止める気にはならなかった。

夢を追いかけて、少しでも自分たちの音楽を聞いてほしいと一生懸命な姿は美しいものである。

だけど仕事疲れで少し荒んだ僕の耳には届かなかった。

彼らの音楽が下手なわけでも、悪いわけでもなかった。
ただ、今の僕には少し刺激が強すぎる。

歩道橋をトボトボと歩いていく。
「大変じゃない仕事はない」とはよく言ったものだ。

彼等のように夢追い人になれたらなと、疲労に侵食された頭で想像してみる。

....ダメだ。想像がつかない。

僕には夢を追うことも許されないのかと
余計に荒んだ考えに戻ってしまった。

そんな時に
何処からか優しいギターの音と、透き通った口笛が聞こえた。

歩道橋の下。そこに彼は居た。
音を追って行き着いた、その彼の見た目はボロボロの服、髭モジャの顔。
お世辞にも清潔感のない格好の男だった。

「驚いたかい?」

彼は問いかけてきた。

「はい....」と正直に答えてしまった。
ハッとして謝ろうとしたら

「慣れてるから大丈夫だよ。それより1曲聞いてくれないかい?」

と言ってきたもんだから僕はまた
「はい」と答えてしまった。

聞いたことの無い、綺麗な音色
聞いたことの無い、綺麗な歌声

オリジナルの曲だろうか。けど音色、歌声、歌詞が全てが僕の中にスっと入り込んだ。心地良い。いや、心地良いどころか、僕の中でその全てが響いていつの間にか顔に涙が伝う。

「....ありがとう」



演奏し終えた彼は優しく礼を言ってきた

「いえ、こっちこそ....素晴らしい音楽を....ありがとうございます。聞かせていただいて」

そう言いながら僕は財布を開けて、千円札を出す。

すると今度は彼が静かに涙を流していた。


「ごめんね....僕の歌なんて....聞いてくれる人なんていなかったから....だからその千円札は仕舞って、聞いてくれた、その真実だけで僕は嬉しいから」

驚いた。

彼の歌声に誰も足を止めなかったと言うのか。


音楽の感性は人それぞれだと言うけれど。

「....僕は見た目通りホームレスだ。身なりだってボロボロだ。けど....音楽だけはやめたくなくてね、誰かの耳にいつか届けばいいなって思ってたのさ」

彼はそう呟く。
そうか。見た目だけで今まで素通りされて大好きな音楽も誰も聞いてくれなかったのか。

「....綺麗事は言いません。ただ、このお金は貴方の歌声を聞いて、感動したからお渡ししてるんです。ここではたくさんの人がストリートライブをしています。その中で1番僕は貴方の音楽が好きだと感じました。また、明日に聞きに来ます。その千円札は受け取ってください。」


そう言って僕はその場から立ち去った。
雑踏で見えなくなりそうな距離で少し振り返ると、まだ頭を下げていた。



久しぶりに琴線に触れる、惹き込まれる音楽を聴いた。

人の感性はそれぞれと言ったけれど、
聞き手の心を動かす歌声を持つ人はひと握りだ。

何故他の人は彼の音楽を聞こうとしないのだろう。身なりが悪いから、アンプがなくて、マイクもなくて楽器が立派じゃないからか?

そう考えるとまた僕は涙が出てきてしまった。

次の日、彼は同じ場所に居た。

「貴方の為に、僕は歌うよ」

僕の為に、そう言った彼は心做しか昨日より少し輝いて見えた。

昨日より透き通って輝きが増した、優しい歌声
昨日よりもさらに心が震えてくるような、訴えかける歌詞。

僕は黙って涙をこらえて聞いていた。

「....ありがとう、ございます!!!」

彼の涙ぐんだ嬉しそうな声で僕はやっと気付いた。
パチパチパチと、疎ら(まばら)ではあるが複数の拍手が聞こえてきたのだ。

振り向くと、昨日の僕のように涙を流して聞いている人、小さな子供、その親が拍手していたのだ。

あろう事か、その観衆達はしっかりと彼のギターケースにお金を入れていった。


小さな子供は首にかけたがま口の財布を開けて、10円と100円を握りしめて彼の元に行く。

「おじちゃんの歌、きれいだね!!!」

そう言って彼に110円を手渡しした。

ありがとう、ありがとうと彼は繰り返し、
その110円を受け取った。

観衆も立ち去った頃、
「貴方のおかげだ。本当にありがとう」

と彼が僕にまた頭を下げた。

「僕は何もしていません。強いて言うなら、昨日その歌声を独り占めしただけですよ」

これは本心だった。
そして昨日と同じように、1000円を取り出そうとすると

「お金は....仕舞って下さい。貴方には大きな恩がある。きっかけをくれた、それだけで僕は充分だ」

と優しい笑顔で彼が言った。

僕もまた、笑顔で言った。

「いい音楽を....ありがとう」




僕の勤め先が変わり、帰り道が
あの場所とは正反対の方向になってしまって以来、彼には会えていない。
僕の彼の記憶はたった2日間のものだったが
今ふと思い出した。


彼は今も、同じ場所で歌っているだろうか。

澄んだ空を見て思った。
彼の歌は青空のようだった、と。

また、定時に上がれたらあの歩道橋に向かうとしよう。